2023/02/02
罪と罰
文学界の巨匠
ドストエフスキー
でございます
本日は真面目に
考察していきたいと思います😙
このような文学書は学生のうちに
読んでおかなければならない
とされますが
ある程度の予備知識がなければ
理解は難しいかと
ロシアの社会情勢、作者の家庭環境
そして心理状態
さらには聖書も理解しておかないと
挫折する?
知らんけど🤣wara
罪と罰
作品の内容は
ペテンプルクに住むラスコーリニコフは
大学を中退し、貧乏アパートで毎日 毎日
もの思いに耽っていた
近代化という歪みに抵抗を感じ
息苦しいほどの挫折感に身を置いていた
学生時代は優秀だったが彼は
自分は選ばれた存在であるがゆえに
悪徳金貸しの老婆を殺しても
許される!
として実際に老婆を殺してしまう
その犯行を目撃した老婆の妹も
また殺害してしまう
このドストエフスキーは
死に取り憑かれた作家
『罪と罰』はドストエフスキーが
身近なものとしての体験した
殺人です
ドストエフスキーには
死への体験が2つあります
一つは、実の父親が領地で
農民に殺害されています
この事件は後に『カラマーゾフの兄弟』
の中に描写されてます
もう一つは
社会主義グループのメンバーだった
ドストエフスキーは逮捕され
処刑寸前の危機になります
当時の皇帝ニコライ1世の
恩赦で一命を取り止めています
ドストエフスキーの作品には
死と同様に神というテーマが
頻出しています
『罪と罰』の復活も聖書の
エピソードをそのまま用いております
『カラマーゾフの兄弟』の父親殺しは
家庭の父→国家の父(皇帝)→
→人類の父(神)
という図式が根底にある
結果として、彼は命の恩人である
ニコライの暗殺を企てています
さてさて
殺人者ラスコーリニコフは
その記憶は鮮明にはあるが
でも、これは夢の世界の話ではないかと……
現実逃避にも似た感情とかが
入り乱れ始めます
ラスコーリニコフの心理状態の
解釈は様々な角度から推測する
ことが可能です
犯行現場に何度も戻っては
住民に怪しまれたりと……
殺人事件を客観的に捉え
自分は第三者だと言いたいのか?
もし老婆の亡霊が現れて
恨み言を言ったのなら
殺人の手応えはあったのかも知れない
彼が大学を辞め長い間 考え
悩んだことは何だったのか?
世間は倫理 道徳を重んじる
社会のため?
家族のため?
自分のため?
それが塵つもり
それをガス抜きする暇もなく
トランプタワーのごとく
ただ一つが傾けば全て崩壊
するのかも知れない
そういう状況にも関わらず
そんな社会に身を置いていることが
平気でいられるのだろう?
自分はこの世に身を置くのに
手を伸ばして入ろうとしても
その実態が掴めない
でも
私たちはこの世に存在している
ことも
彼はそれが存在しているということが
どういうことなのかが
わからない
知性は存在を探す手応えを感じない
時間という存在が何時何分?と
意識しない限り、その存在が
かき消されてしまう
ふと精神は大事な何かを忘却したり
世の中の全ての存在を失って
ただテレビの映像を観ている感覚にも
似た状態に置くこともある
例えば
超未熟児の赤ちゃんが
先端医学の進歩で命を救われた
ニュースと
親の虐待で幼子の命が奪われた
ニュースとで
助かった命と奪われた命の増減だけの
数字しか認識していない
この世は因果応報の微妙な
バランスで成り立っている
因があって果がある
それを崩したラスコーリニコフは
私は選ばれた人間だと
信じようとした一方で
取るに足らない人間だという
思いも捨てきれず
時計の振り子のように
その2つを行ったり来たり……
因も果も通り過ぎてしまう
自身の覚悟が必要だったのかも知れない
彼はニコラエフスキー橋で
何度も立ち止まり下を覗き込んでいた
たぶん
ラスコーリニコフはここで自殺を
考えていたのか?
ずっと彼は殺人を犯した閉塞感
孤独と闘っていた?
でもドストエフスキーは
彼を死なせなかった
罪の意識に怯えるようになり
心優しきソーニャの出会いによって
彼は自首を決意する………
やがて彼は シベリアに流刑となる
ラスコーリニコフは
自首することにより
自身の再生、復活を願い
死を捉えて全ての存在が
空虚になることを願った
ソーニャもまた
家族の為に自身を精神的に殺します
両者は一線を越えた人間なのですが
神を信じているから死ねません
この作品でソーニャの存在が
貴重な要素であることは事実
全てが夢で何も無かったのなら
全ては無意味………
一体、罪とは何なのか?
ドストエフスキーは
神にしかわからない背徳を
ラスコーリニコフに託したのか?
ラスコーリニコフは最後の最後まで
罪を悔いることは無かった
ということは?
ドストエフスキーは復活を
許さなかった
ドストエフスキーが身近に
体験した殺害が『罪と罰』
この作品としての最終結論は
踏み越え
復活
死と再生儀礼
キリスト教の最後の審判
ラザロの復活を意味する?
のではないかと
神の存在
ドストエフスキーの作品の多くは
神の存在がテーマになってます
この世を肯定するのか?
否定するのか?
ラスコーリニコフも時計の振り子に
揺さぶられながら何かを
信じようとしていたのかも………
さてさて、ほいさっさ🤗
トルストイは『戦争と平和』で
ロシアの理想とするイデアを教え
ドストエフスキーは『罪と罰』で
本性を忘れた理性だけによる改革が
人類を破壊させることを説いた
虐殺を正当化する
ロシアのプーチン大統領の
身勝手な論理や歴史観が
見事なまでにシンクロしている
ラスコーリニコフの自己陶酔
びっくらポン🤣warawara
お気をつけあそばせ(笑)
ほな、ごきげんよう✨
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